女魔術師は見た
秋も深まったとある日。わたしは、衛宮邸に用意された自室にて、一人悶々と頭を抱えていた。
「参ったわね……」
このような時、一体どのように行動すればよいのか。その回答は、わたしの短い人生の中には無い。だから、頭を抱えるしかない。頭を抱えたところで解決はしないという事は判っているんだけど……それ以外、気を紛らわせる方法が無かったりする。
これは結構な大問題である。自力では、どうしようもないというか。
問題というのは、はっきり言って間抜けな話なのだが……士郎のとある行為を盗み見てしまったということ。もっと正確に言えば、その、アイツの自慰してる場面を目撃してしまったのだけど、そんな記憶に対してどうすれば良いのか判らない。
男女が一つ屋根の下で暮らすということは、当然ながらお互いのプライバシーも見てしまう可能性があるわけで。実際、今までも着替えを故意ではないが覗いたり覗かれたり、下着を見られたり見たりといった事はあったわけだけど。今回のは、ちょっとそんな笑い話にはならないレベルである。少なくとも、わたしにとっては。
不幸中――不幸かどうかは知らないが――の幸いは、わたしが見てしまったのをアイツは気付いていないだろう、という事だ。何せ、最後の最後まで見てしまったんだから――
言い訳をさせてもらうなら、決してわざとではない。不可抗力であり、遺憾なことであり、どうしようもないことなのだ。無論、図らずもこのような事になってしまったのはわたしの浅慮からなんだが。
こうなった以上、本来なら謝るべき事なんだろうが……しかし、この場合は馬鹿正直に謝れる問題でもない。傷付けるかもしれないし。逆に、自分が士郎にそんなところを見られたとしたら――取り敢えず、死にたくなるほど恥ずかしいだろう。
まさか、見た物を記憶から消すわけにも行かない。いや、魔術を使えば自分の記憶だって操るのは不可能ではないのだけど……正直なところ、これを消してしまうのはとても惜しい気がする。そんな事、素面で認めるわけにはいかないけど。
「ああ……うう」
しかし、記憶を消してしまいたい、とか思っているのも事実。矛盾した考えだが、それが本心である。
ちらりと、脇にどけてある本に目をやってみる。やたらどぎつい色合いの表紙は、これまたこれでもかといかがわしいくらいに挑発的な格好をした女の写真が載っていたりする。
士郎の部屋で見つけたものだ。ぱっと見た目はエロ本だけど、何の捻りも無く中身もエッチである。女の裸とか官能小説っぽい小話とかアダルトビデオの宣伝広告とかが混じってる、どこにでも売ってる――かどうかは自分で買ったことがないので知らないが、まあそういう物だ。
ちなみに、当然ながらこいつはわたしが買ってきた物ではない。士郎の物だ。それが、わたしの手元にあるのは――まあ、士郎の部屋から取ってきた訳なんだけど。
それは、今からだいたい二時間ちょっと前のこと……
「ふーむ、無いわね……」
などと、呟きながらわたしが徘徊していたのは、士郎の部屋だった。正確に言えば、その押し入れである。
何をしているのかと言えば、捜し物だ。だから、押し入れに頭を突っ込んで色々と物色している。畳敷きに木の机、ライダーから借りたと思しき数冊の本を除けば、本当に何もない部屋だから、もしあるとすればここくらいしか考えられないのだ。
捜し物といっても、わたしが士郎に何か貸した物というわけではない。探している物は、言ってしまえば簡単だが――エロ本である。
何で、そんな物を探しているのかと理由を問われたなら……正直、理由はあるのだけど非常にみっともないというか何というか。取り敢えず、答えはと言えば単なる興味本位である。いや、さらに正直に言うなら、情報収集といったところか。
この家には、大量の若い女がいるが、士郎はその誰にも手を出した兆候がない。選り取り見取りで思わず手をつけられないのか、それとも単に興味がないのか。一緒に住んでいる女としては、割と気になる事ではある。
当然といえば当然だが、士郎の許可は一切取っていない。つまりは、不法侵入である。他人の部屋を漁るような真似……いや、実質漁っている訳なのだけど、非常にわたしらしくないといえるだろう。
優雅でもなければまともな行動でさえ無いが、何の反応も示さない衛宮士郎に対してはそろそろ我慢の限界だったのだ。自らを正当化するわけではないが、それでもこんな事をしているのは、とにかく気になるからである。
以前にもセイバーと探したことはあったが、生憎とそれは士郎の物ではなく慎二の物だったというオチが付いてしまった。だが、わたしの勘に過ぎないが持っていると思うのだ、彼自身が選んだ映像の書物が。
そういうわけで、前は探しきれなかった押し入れのさらに奥まで操作の手を広げてみようと思い立って一時間、魔術によって暗視能力を目に付加しながら探しているわけだが――
「と……これ、かな……?」
指先に何やら紙袋のような物が触れた。
暗視能力を強化して見てみれば、やはり古ぼけた紙袋だった。素早く掴んで、手元に引き寄せる。その中には、無造作に数冊の本らしき物体が突っ込まれていた。暗闇で判然とはしないが、手の感触からして本に間違いないだろう。そして、こんなところに隠すような本は、十中八九、探し求めていたものだと思われる物だと思われる。
もし、誰に見られても恥ずかしくない本なら、こんな所に隠しはしないだろう――そう考えたとき、自分以外の物が発している音を鼓膜が拾った。
「……お?」
一定のリズムで、誰かがこちらまで歩いてくる音だ。このしっかりした足音は――士郎、だろうか。既に足音で誰か判断できるくらい、彼とは長い付き合いである……などと、落ち着いている場合でもない。
「やっば。道場で、セイバーと鍛錬していたはずなのに」
もう終わったのだろうか。まだ時間には余裕があると思ったのだが……しかし、今の状況は問題だ。どうしよう。思わず、開けっ放しだった押し入れの襖を閉じてしまう。
「あ……しまった」
ヤバい。これだと、逃げられないではない。
そう気付いても為す術もない。きっかり心臓が一回鼓動した後、士郎は襖を開けて部屋に入ってきた。
「……うわ、どうしよう」
心臓の音が高まってくる。こんなところにいるのがバレたら、何と思われるか判ったものではない。わたしは、反射的に息を殺した。幸い、この物置、数だけならそれほど物は入っていないが、荷物一つ一つがやたらデカい。押し入れに頭を突っ込まれて覗き込まれない限り、隠れ続けることが出来るだろう。
ついでに、わたしの周りに簡易的な結界を張る。じっとしている分には、例え視界に入ってもわたしの存在には気付かれないはずだ。
……だが、これでは士郎がこの部屋から出るまでわたしも出られないということだ。少々、不味い事態である。自業自得だが、閉じ込められたことになる。出来れば、すぐにまた出掛けて欲しいものだが……
どうしようか。魔術で士郎の意識を反らせて、一旦部屋から出歩かせようか。それとも、ここで待機しているか。
そんな事を迷っていたのだけど、そんな時、士郎はいきなりわたしが潜んでいた押し入れの襖を開いた。
「!?」
真っ暗だった押し入れの中に、突然光が入ってきたから暗視魔術をかけた目には堪えた。それに、こんな行動は予想していなかったから、かなり驚いた。別に彼の押し入れなんだから、開こうがどうしようがおかしくも何ともないが……こんな時に開くものだから、てっきりバレたのかと思ってしまった。
だが、士郎は特にわたしに気付いた様子はない。押し入れの中に頭を突っ込んで、何かを探し始める。その士郎とわたしの距離は、僅か五十センチ程度。狭い押し入れ、当然隠れる場所も限られる。結界がなければ、おそらくすぐに発見されただろう。
結界を張って、本当に良かった。
「と、あったあった」
胸を撫で下ろすわたしを余所に、士郎は目的の物を見つけたらしい。
「あれ」
それは、わたしがさっき見つけた本だった。いかがわしい本、わたし以外の女の裸が載っている本。袋から、一冊だけ取り出して士郎は押し入れの襖を閉める。
「……」
ここにそれがあった以上、士郎が読むのは当たり前。そんな事は理解していたが、彼がその本を手に取ったところを直に見ると、やけに胸がむかつくのは何故だろう。いや、自問するまでもなく、その答えは出ているのだけど……
「……いや、ちょっと待て」
大変な事に気付いてしまった。
士郎がこの本を取ったって事は……その、何か。士郎はこの本を使う――という事だろうか。この手の本を使う、というのはつまり大抵は……ただ眺めるというだけではなく、自分を慰める――という手段に使う訳で。
つまり、士郎はこれから――する、んだろうか。いや、おそらくはそうだろう。それ以外に目的なんて――女だからかもしれないが、わたしには想像できない。
「えっと……」
どうしよう。流石に、そこまでプライバシーに踏み込めるわけもない。というか、今になって冷静に考えれば無許可で部屋に侵入する事自体、言い訳できないルール違反だが……取り敢えず、今はその事は保留だ。
ここから出られればそれが一番良いのだけど……部屋には、士郎がいる。ここにいる分には結界も張ってあるから気付かれないだろうが、彼の目の前を横切っても気付かれないような強力な結界でもない。わたしの知っている魔術の中では、術者の気配を掻き消してくれる強い結界もあるけど、こんな押し入れで使えるほど手軽なものでもないし、出来たところでそれだけ強い魔術を使えば鈍い士郎も流石に気付くだろう。
つまり、八方塞がりというわけで――
「……ど、どうしようか」
このまま、ここにいるのは居心地が悪すぎる。だが、出る方法が無い。冗談抜きでヤバいような気がする。
「……いや、落ち着け落ち着け」
今、すぐに出れば何とか言い訳が利くしれない。いや、利かないような気もするが、少なくともこんな出歯亀そのものの真似はしなくても済むだろう。
「……今なら、大丈夫か?」
そんな事を思いながら、特に何の気負いもなく様子を窺うために少しだけ襖を開けてみて――体が硬直した。
「……」
本当に、ほんの少しだけの隙間からは、その、士郎が自分を慰めている姿がはっきりと確認できたからだ。ズボンの前を開け、そこからはいきり立った男性自身が飛び出していて、手はそれを握り締めている。
これは――物凄く間が悪い。まさか実際に見てしまうなんて……まさか、もう始めているとは……
混乱しっぱなしのわたしの事など気付きもせず、士郎は本を見ながら行為に没頭しているらしい。その顔は――今までに見たこともない複雑な顔で、必死だった。
「う……」
その顔が直視できない。何だか、恥ずかしすぎる。というか、見ていて何だか物凄く胸が痛くなる。士郎が、わたし以外の人間であんな顔をするというのが、正直嫌だったり……
だから、というべきか。わたしの視線は、すぐに彼自身に注がれるようになった。当然ながら、初めて見る物なんだけど……何なのだろうか、あの大きさは。想像していたのよりも倍近く大きいんだけど……あ、あれを本番の時には受け入れなければならないのだろうか。
「――!」
む、無理でしょう、いくら何でも! 冗談抜きで裂ける。いや、裂けるのは当たり前なんだっけか。いや、そういう問題じゃなく、最初は痛いと言うが、痛いなんて物じゃ無いって。
「わ……凄」
まさか覗きがいるとは露知らず、士郎は行為を続ける。どんどんと、腕の動きを速くして……
……また随分と必死な顔だ。あれだけ強く握っているのに、痛くないんだろうか……
目を離さないといけないと思っているのに、どうしても目が離せない。顔がとにかく紅潮している。血が頭に上っているのが自覚できる。
このような、秘め事を覗き見て、背徳の悦びを感じているのだろうか。
「……はぁ……はぁ……」
息が――荒れる。出来る限り、息は殺さないといけないのに、何故か抑えられない。胸の辺りが疼いて、視界がぼんやりとする錯覚に見舞われる。吐く息はやたら嫌らしく、ねばついているように感じる。
士郎のそれは、他のと比較なんて出来ないけど――とてもグロテスクだ。女性のそれも、直に見ればかなり気色悪い代物だけど、男のペニスはまた違った物がある。まるで踏ん反り返ったかのように緩やかにカーブしていて、頭はきのこのそれに似ている。
性の知識は魔術師だから人並みにあるが、実物を見るのは初めてだった。だからだろうか、目が磁石にでもなったかのように、それから目を離せなくなる。見ているだけで、頭がぼうっとしてきて何だか気分が高揚してくる。
あれを入れるだけでなく、舐めることもあるのか……
「……」
一瞬だけ、想像してしまった。士郎の前で跪き、彼の股間に顔を埋めて、一心不乱にそれを舐めあげる自分の姿。じゅるじゅると、はしたない音をあげながら、唾液を塗して吸い込んだり甘噛みしたり……
「……ふぁ!」
それだけで、一瞬――とんでもないことに、達してしまいそうになった。今までも、そういう事を想像したことがないわけではない。わたしだって女、知っていることを想像の中で試すくらいの事はしているし、その想像で自分を慰めたのも一度や二度ではない。
だけど、やはり実物を見たことがないから、それは想像の中では非常に曖昧なシルエットでしか無く。ましてや、勃起した物なんて想像の範囲外の代物だ。
それが、今、目の前にある。
「ふう……ふう……」
そんなわたしの熱い視線に気付く様子もなく、士郎はそれを握ってしごき続ける。何だか、さらに大きくなっているような気がする。遠目に、しかも真横から見ているから断言は出来ないけど……どれくらいあるんだろうか。
半ば、夢の中にいるような感覚でそんな事をつらつらと考える。士郎は必死で行為を続け、わたしはそれを熱い目で見ながら現実逃避。何だか、やたらと異質な空間がここに形成されているが、それにも当然終わりが来る。
どれだけ、眺めていただろうか。士郎の体が、突然痙攣したように震えた。
「あ……く……」
「……!」
……士郎が、いつの間にか右手で掴んでいたティッシュをペニスの先に当てた。そして、一際大きな呻きを上げた。
「うわ……」
良く判らないが、射精しているのだろうか。
話に聞いていた感じだと、最後は紙か何かで包んで飛び散らないようにするらしいんだけど、本当だったのか。
「……はあ、はあ……はあ」
痙攣が治まった士郎は、やや粗く息を吐きながらティッシュをゴミ箱に捨てた。その表情は、どこか満ち足りていて――それを見るわたしは、とにかく目を丸くするしかなかった。
興奮があらかた治まると、最後の最後まで見てしまったという罪悪感だけが残った。
あの目の前で繰り広げられた光景は……正直、情けないという感想を抱くと同時に、酷く――蠱惑的だった。男に対する感想ではないかもしれない。どこか必死なその様子は、女であればまだ芸術的なのだろうけど、男のそれでは到底美しいと言えるものではない。
だが、それ以上に心を支配するのは――
「うう……」
結局、最後まで見てしまった、という罪悪感だった。正直、夢だったと思いたい。最後まで、しっかりと凝視してしまったという事実を消し去りたい、のだけど……脇に置いてある本が、あの光景が事実だったと言うことを完結に語っていた。
脇に置いていた本とは、あの押し入れで見つけたエッチな本の事だ。
しっかりと見終わった後、士郎は自室から出て行ったので、何とかわたしも押し入れから出られたんだけど、あの袋にあった本も無意識に持ってきてしまったのだ。よほど、動揺していたのだろうか。こんな部屋に無断で入った物的証拠を部屋まで持ってくるなんて。
「……それにしても……何というか……」
自慰自体に否やを唱えるつもりはない。精神の安定とか、ストレス解消とか、まあ効能は知らないが必要なことだろう。それくらいの理解はある。が……それの対象が、わたしでないというのは、腹立たしいというか情けないというか――妙な気分で胸がむかつく。
好きな女では自慰をする気になれないとか、そういう情報が載った本もあったけど、何となく士郎は逆のような気がする。そんな予想を立てていたのだけど、違ったのか、それともあの本を元にさらに頭の中で誰かと交わっていたのか。
色々と、妙な考えが頭を回っていくが、同時に体が――熱くなってきた。異性のそれを見たのだ。興奮しない方がおかしい。正常な反応といえる、と思うのだけど。
「だけど、それって……」
悩んでしまう。普通、女ならあんな光景を目にしたら嫌悪して記憶から消したくなるのが普通ではないのだろうか。それとも、これくらいは性に対して好奇心があるのが普通なのか。この手の話なんて、友達とも深く話したことがないから良く判らない。
たまに耳に入ることもあるけど、わたしの友人は簡単に男に身を任すような安い女じゃなかったり、まだ花より団子な女だったりするわけで、無責任な噂の域を出るものじゃないから参考にもならない。まあ……その参考にならない筈の言葉も、わたしはきっちりと記憶してしまってるのだけど。
「……」
士郎の使っていた本を手にとって読んでみる。
……色んな女の裸が映ってるわけだけど……わたしに似てるような人もいたけど、外国人はセイバーみたいな金髪だし、桜みたいな巨胸もいたり。バゼットやカレンみたいなのはいないけど、もしかしたら別の本にはいるのかも。
……そして、その中にはわたしに似たのもいるんだろうか。
「う……ぁ?」
一瞬だけ、びくんと体が震える。
こんな本を読んで興奮していたのか、片手がいつの間にか股間を撫でていた。無意識である。流石に、自分に与えられた部屋とはいえ、他人の家でそんな事をするほど恥知らずじゃ……無い。誰も入ってくる事のない自宅でならともかく、こんな誰がどこにいるか判らず、音も筒抜けな家でそんな事が出来るわけがない。実際、これまでこの家でそんな行為に及ぼうとしたことさえない。洗濯の時とか、掃除の時とかどうやって誤魔化すのかという切実な問題もあるけど。
「ふ……あぁ……」
だと言うのに。股間をさする指は、ただ単調な往復運動を繰り返すだけで、そこから離れようとしない。思わず漏れ出る声に、こそこそと周囲を窺ってしまう。
自分が、何をしているのか判らないほどわたしは子供じゃない。それくらいの知識はあるし、自分で自分を慰めたことくらいはある。それに、魔術師ならこの程度の性知識は学んでいて当然である。
だから、自分がやっていることがとてつもなく恥知らずだということも理解している。だが、そんな常識も今までにない興奮で満たされているわたしの頭の中では、あっさりと覆される。
「だ、誰も……いない、わよね……」
周りを見回して――誰もいないことを確認する。
周囲は自分の乱れた吐息以外、特に何も聞こえない。その事実に、胸を撫で下ろす。
それほど気になるのなら、今すぐにこの秘め事を停止すれば良いのに。そんな事を頭の冷静な部分が判断するが、実際の肉体は何故かその考えを行動に反映させようとはしない。指はそのまま、下着の上を規則的になぞり……目は手元の本に吸い付けられてしまう。
何の変哲もないエッチな本。おそらく、そのままならばどうとも思わないであろう代物だ。本の中では、相手の男は実際にはいないのだろうけど、まるで本当に誰かと交わっているかのような恍惚とした表情を浮かべる女の人がいる。
だが、士郎がこれを使っていた……と思うと、どうにも得体の知れない感情が込み上げてくる。本を破りたくなってくる一方で――もっと、読んでみたいと思う矛盾した思い。
「少しだけ、なら……」
念のために、防音結界を張る。認めるのも恥ずかしいけど、もう我慢なんて出来ない。
「く……ふぅ……ぁ……」
……股間には、既に少しだけ湿り気がある。普段なら、もっとじわじわと時間を掛けて責め立てないと濡れることもないのに。今日に限って、まるで淫乱にでもなったかのようだ。
「……あ、あぅ……はあ……」
過敏になった肉体は、指だけでの刺激では飽き足らないのか――わたしは、膝を内向きにして、左右の太股同士を擦り合わせた。傍目から見れば、尿意を我慢していると思われても仕方のない行動だ。
「ちょ……ヤバいって……」
どうしよう。いい加減に止めなければ、このまま最後まで行ってしまう……流石に、間借りしている部屋でこういう事はしたくない。そう思っているのに手が言うことを……きかない。それどころか、どんどんと下着を擦る速度が速く……強くなってくる。
何をやっているんだろう。そんな考えが頭に浮かぶ。しかし、すぐに掻き消される。徐々に、勢いよく、確実に強くなっていく快楽が、そんな脳の中身を洗い流してしまう。
「あ……うぁ……止まら、ない」
くちゃり。そんな、粘り気のある水音が耳に届く。いや、これは単なる錯覚に過ぎない。どれだけ濡れていようと――そこまで、大きな音が出る筈が、ない。多少湿っているだけで、そこまでの水分を下着は含んでいないはずだ。
「ひ……あ、う……ああ、ふ……ぅぅ」
いや、それは普段の話だ。さっきまで、押し入れで士郎の自慰を覗き見るという背徳感に満ち満ちた行い、そして普段は目にすることのない男性向けの本。それらは、想像も付かないくらいわたしを淫らにしているらしい。
「やば……気持ち、良い……」
ただ、そこをなぞっているだけ。たまに行うその行為は以前と同じく、優しくもどかしくて――今回だけ、特別な指の動かし方をしているわけではない。なのに、それだけの動きに異様なほどの快楽が全身を駆け抜けた。
「ふ……く、うう……か、は」
経験がないわけではない。わたしだって、第二次性徴は疾うに過ぎた年頃の女だ。いつの頃からかまでは忘れたが、自分を慰める術は自然に覚えていった。
だが、ここまで敏感に自分の指を感じた記憶はどこを探しても見当たらない。これほどの悦びなんて知らない。なのに、躰はもっと強い刺激を欲している。今までにも感じたことのない快楽を受けて尚、さらにそれ以上の物を求めようとしている。
「ふあ……ちょ、これ以上……なんて……」
怖い。そんな事を思う。今だって、十分に気持ちが良いのに……だけど、それで満足できない。もどかしい。その原因は、指とわたしの女性自身を遮っている布地に他ならない。
滑らかなシルクの手触り。これは、最後に残された理性の象徴のようなもの。もっとも晒すべきではない箇所を守ることによって、辛うじて理性を保とうとしている心の砦だ。
それを――わたしは、あっさりと脱ぎ捨てた。座っていたベッドから立ち上がり、片膝を上げて下着の端に手を掛けて、そのまま勢いよくずり下ろす。躊躇などまるで無い。今のわたしにあるのは、ただただもっと強い刺激を求める貪欲さだけだった。
脱いだ下着は、そのまま床に放り捨てる。ただ、一刻も早く、もっと強い快楽を味わいたい。そんな今年か考えられなくなっていた。
「うぁ……」
止まらない。止める気も起こらなくなっている。普段は閉ざされている場所に、火傷したかのように熱い指と、ひんやりとした空気が触れて、それだけで、イキそう、になる。
もっと、もっとと体がせがむ。まるで、脳だけが切り離されて、体は別の意識に支配されているよう……
「ふ、く……駄目……」
いや、素直に認めよう。わたしは、士郎が自分を慰める姿を見てしまって、興奮しているのだ。あの時のわたしの目は、尋常な物ではなかった筈。あの時のわたしは、確かに淫乱な空気を体の中に溜め込んでいたのだ。
本のページをぱらぱらと捲る。色んなシチュエーションで、女が恍惚の表情を見せ付けている。それが、例え単なる写真とはいえ、士郎にも向けられていたと思うと腹が立つ。それと同時に、背徳的な快楽が高まっていく。
そうして、想像していた。あの堅い肉の棒が、自分を貫く様を。無論、単なる想像なので、どんな細部は感じになるのかまるっきりあてずっぽうだが。そして、その上にこのいかがわしい本から、どんなシチュエーションなのか、想像に付け加えていく。
例えば――そう、この本の中だと、どういうわけだか二人の女が一人の男によってたかって性を貪るシーンがある。
……何となく、片方は髪を下ろしたわたしに雰囲気が似ていて、もう片方は多分日本人だろうけど金髪で顔の彫りが深くて、何だかセイバーに少し似ている気がする。もしかして、士郎はハーレムとかそういう趣味があるのだろうか。わたしとセイバーで、もし彼を責め立てたらあっさり陥落するのだろうか。
勿論、そんな事は許さない。わたしはそこまで懐が広くないし、セイバーだってそうだろう。そもそも、士郎の日頃の言動から見て実際にそういう性癖があるかどうかはともかくとして、あの真っ直ぐな奴が二股かけるとも思えない。
だからこそ、なのだろうか。こんな本があるのは。正直なところ、本心を言わせてもらえれば――すげーむかつくのだけど。
その反面、異様なまでにその想像に興奮してしまう自分がいる。自分だけではなく、自分以外の女が士郎に犯されていると想像すると、怒りと共に少しの悲しみと――何故か、やたら躰が昂ぶる。考えるだけで、目の前に見たこともないはずのセイバーの裸体と、それを串刺しにする士郎の情事が思い浮かぶ。
それは、とても綺麗で……喉が焼け付くくらい気分が悪い。
「あ、はあ……はぁ……」
涙が出そうなくらい悔しい。なのに、躰はさらに興奮する。その相反する感覚に戸惑いつつも、躰はわたし自身の指によって悦びに打ち震える。
「あ──ふぁ……っ!」
これは、想像に過ぎない。実際にはこんな事は行われていないし、行われていたとしても実際に他人の交わりを見る機会などあろう筈もないのに、やたら鮮明に思い浮かべられるのは何故なのか。実際に、本を見ているからだろうか。
そんな疑問も頭に浮かばず、ただ嫉妬と奇妙な欲望に身が焦がれる。怒りが沸騰しないのは、これが単なる想像だからと判っているからか。
「うあ……セイバー……士郎……」
空想の交わりに対して、舌を伸ばして邪魔をしてやる。舌を伸ばした先は、士郎の陰嚢。無論、どれだけ舌を伸ばしたところで実物は存在しないのだから、わたしの舌は淫猥に濡れた空気を舐めるだけだ。
「……あ、はあ……う、ぁあ……」
どこか冷めた部分が、今のわたしの格好を見て赤面する。だらしなく舌を延ばし、はしたなく涎を垂らし、左手には男が見ているエッチな本、右手は執拗にわたし自身を慰めていて、おまけに下半身は丸出し。はっきり言って、自分の格好の方が、この写真の女たちよりも数倍嫌らしい。
――そんな姿を自分が晒している。誰にも見せてはいないけど、そんな格好をしている。その事実が、余計に感情を高ぶらせる。これまで、経験したことのない感覚が全身を支配していく。
自分の指が、自分の指でないかのように己を責め立てる。もう、秘所は濡れに濡れている。恥ずかしすぎて、とても直視できないけど、そこから漏れ出た愛液は多分ベッドのシーツにまで垂れているはずだ。くちゃくちゃと、今まで聞いたことのないくらい大きな音が、そこから漏れ出る。
「ひぁ……う、あ……」
そんなわたしに対して、想像の中の士郎は顔を歪める。それは、さっきの士郎のオナニーしていた時の顔だ。この本で、士郎が欲情してペニスを勃起させて、一心不乱に扱いていたときの顔。
ただの想像とはいえ、士郎にそんな顔をさせたのが物凄く嬉しくて愉快だった。舌で舐って、喉の奥まで吸い込んでやると、士郎は呻き声を出してわたしの喉の奥に精液を吐き出す。
実際、どんな味なのか想像できないけど、取り敢えずは美味しいと思ってやることにした。ここで、早いとか言ってやると落ち込むんだろうか。それを想像すると、さっきまで燻っていた胸のむかつきも多少治まってきた。
調子に乗って、その次、その次の快楽を躰が追い求める。まるで予定調和のように、右手は本の次のページを捲っていた。
「……ああ」
十ページほど捲ったとき、わたしの目に飛び込んできたのは、何というかぬるぬるした液体を全身に浴びてる女性がいた。何だか、この人はリボンを外した桜に似ている気がする。特に、胸の辺りが……
「ひ、あ!」
そう思うと、何だか悔しくて無意識のうちに胸を触ってしまった。瞬間、電流が走ったかのような衝撃が頭からつま先まで走る。いつも、漠然と一人で慰めていたときは、胸でこのような感覚を味わったことは無い。
「あ、うあ……こんな……いあ……やだ、熱い……」
キスされて、胸を触られて摘まれて握られて、奥まで抉られて、最後に全身を汚される……正直、吐き気がする光景だ。だが、実際に自分がその立場におかれたとなればどうだろうか。相手は見ず知らずの誰かなんかじゃなく、愛しい男ならどうだろうか。
「う……ぁ」
屈辱的だ。とても、屈辱的だ。ただ、それが何故か快感に繋がってしまう。組み伏せられ、あられもない声を上げさせられる自分の姿を想像するだけで、達してしまいそうだ。
……何というか、これってつまりはマゾという奴だろうか。もし、そうなら非常に有り難くない事実なのだが。いや、違うだろう。単に、興奮しているだけだ。そう思いたいけど、どうなのだろうか。殆どの部分が茹だった頭では、それほど深くは考えられない。
「ひ、や……だ。こんな、の……はぁ……」
目はしっかりと本の内容を追いかけて、口からはあられのない言葉が吐き出される。やだと言いつつ、本気でそうと望んでいないことは本人が一番知っている。
次々と、ページの中の女性の立場を自分に置き換えてみる。まるでレイプのようなシーンを演じている。逆に、男を組み伏して自分から腰を振ってるとんでもない女もいた。何故か、女と女がキスしてる写真まである。
その全てに、自分を投影してしまう。
実際にはそんな事なんて無いのに、まるで士郎に全身を舐められているような感覚さえ覚えてしまう。キスもしたことがないのに、誰かの唇の感触を感じる。躰をペニスで串刺しにされて、気を失うほどの快楽を味わう自分もいる。
気がつけば、奥底に仕舞い込むべき花弁だけではなく、上半身までも裸になっていた。いつの間にか、わたしの肌を隠しているのはいつも付けている太股まで覆う長い靴下だけ。
冷たい外気に晒されたそこは、ただ濡れに濡れた部屋の空気に触れるだけで絶頂に達しそうだ。
「はあ……ふう……あ、う……」
うつぶせになり、ベッドのシーツに両方の乳首をこすりつける。それとは逆に、尻は高く上げる。そうすることによって、腰が左右に振られる。その様子は、まさに発情期の雌犬そのものだろう。
「な、なにで───こん、な、もう……イキそ……」
両手の指は、まるで貪るように自分の秘所を撫で続ける。奥まで入れないのは、恐怖からかそれともアイツのために大事に取っておきたいからか。
それにしても、冷静に考えれば物凄い格好だ。後ろから見れば、濡れそぼった秘所は全く包み隠さず丸見えである。そして、想像の中ではわたしは士郎に後ろから突かれていたりする。
「あ……やだ、わた、し……こんな……ふあ、もっと、もっと……」
さっき想像でしていたフェラチオの時と違って、今度は士郎の顔なんて見えない。犬のように、ただ相手にお尻を差し出して、ただただ欲望のままに突かれるだけ。ただの妄想なのに、本当に膣の奥まで貫かれているような感覚がする。
「もっと……もっと、突いて!」
有り得ないペニスを求めて、わたしはとんでもない声を上げる。もう、淫乱なんて言葉さえ通り越した痴態だ。
躰はもはや止められない所まで来ている。多分、余程のことがない限り、この指の動きを止めはしないだろう。
もう少し、もう少しでイケる……というより、これ以上焦らすと発狂しそうだ。秘所はグチャグチャのドロドロで、今にも鼻が曲がりそうなほど甘い香りを放って腐り落ちそう。
たかが、オナニーでここまで乱れるんだから……本当に、ペニスがここに突き刺さったらどれだけ痛くて、どれだけ気持ち良いんだろう。
そんな事しか考えられなくて、もう周りの事なんて随分前から忘却していた。だから、そんな事にも気付かなかった。もう、本当にイク寸前になって、とんでもない声が鼓膜を震わせた。
「遠さ、か……ぁぁぁああ!」
一瞬、我が耳を疑った。幻聴かと思った。というより、思いたかった。でも、背後から聞こえるのは――士郎の声だった。
「……す、すまん、ノックしなくて悪い!」
こっちが振り向く間もなく、ばたんと大きな音がしてドアが閉まった。
「……あ、は、う……あ?」
……見られた。これ以上ないほどとんでもない姿を見られた。お尻を振って、喚いて、足を開いて、胸を出して、そしてそこはビチョビチョで……多分、わたしが考えられる限り一番恥ずかしい姿。
それを理解した瞬間。
「ひあ……あ、あ? ……ああああ──っっっ!!」」
わたしは、本当にあられのない声を上げて、その場で果てた。
その日の夕食。当然ながら、わたしと士郎の間に会話は無い。
「どうかしたんですか?」
セイバーや桜、挙げ句の果てにはカレンにまでそう問われてしまったのだから、よっぽど二人の間はギクシャクしていたのだろうけど――まさか、相談できる筈もない。
そうして自室に引き上げようとしたとき、途中の廊下で士郎が追いかけてきたときは何となく怖かったような嬉しかったような。
「す、すまん、遠坂! 俺に出来ることなら何でもする」
そう言って、その場で土下座しかねないほど謝り倒された。
実を言うと、それほど怒りは感じてない。まったく、と言うわけではないが、どちらかというと嬉しい、といったところか。そして、何よりも恥ずかしいから、士郎の顔が見られないんだけど。気付かなかったのは、防音結界を張っていたのが仇になったのだろう。
普通ならぶん殴るところだけど、わたしにも後ろ暗いところがあるから、とにかく顔を真っ赤にして許すしか無かった。士郎の顔も、直視できないから。
「あ、うん……いや、わたしも不注意だったから」
「いや、そんな事は……あ、だからってんじゃないけど、俺に出来ることは何でもするから……それじゃ!」
それは、士郎も一緒だったのか、こっちの顔はちらちら見やるだけで、そそくさとこの場を後にした。
「……はあ、はあ……」
ヤバい。士郎に話しかけられただけで、股間が少しだけ疼いてしまう。下手をすると、今夜すぐにでも夜這いを仕掛けてしまいそうだ。というより、こんな廊下の只中で、慰めかねないほど気分が高揚している。
それは、その、ちょっと不味いので何とか欲望を抑え込む。そんな事よりも、もっと良いことがあるんだし。
「な、何でもする、か……」
こんな言質を取ってしまったんだから、利用しない手は無いではないか。
―――決めた。あんな事を見てしまったし、見られたし。こうなったら、全責任を士郎にとって貰おう。もう、嫁に行けたものではない。いや、遠坂のわたしだから、どちらかというと婿を取る立場なのか。いや、そんな事はどうでも良い。
「……ふふん」
まあ、実際にそこまで持って行くのは猪突猛進騎士王や真っ黒な揚羽蝶とか白い小悪魔とかその他諸々障害があって大変だろうけど――取り敢えずは、一歩リードしたわけか。
「差し当たっての問題は――」
持ってきたままのあのエッチな本を、どうやって士郎の部屋に戻すかどうかか。
「……」
もしかして、士郎は今日のわたしの痴態をおかずにして、また自分を慰めるんだろうか。そして、今夜、またアレを見てしまったら――わたしは、直に観察しながら恥ずかしい事をあの薄暗い押し入れでシてしまうんだろうな。そんな確定した未来予想図がちょっとだけ目に浮かんで目眩がした。
エッチすぎて、頭がくらくらする。流石に、それは許されまい。さっさと返してしまうに越したことはない。
「……よし」
何となく残念な気持ちを抱えながら――わたしは、自室に戻っていった。
fin
後書き
以前、とある本に寄稿させていただいたお話です。久々の更新が、18禁SSってのもどうかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
平成20(2008)年 8月7日 辰田 信彦